屋久島里程標・・・いろいろあったよネ~

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過去から現在

島が誕生してから現在までに、順調に経過してきたわけではありません・・・

尤も、島の誕生そのものが天変地異と言えるわけですが・・・中でも氷河期や喜界カルデラの大爆発などの影響はこの島のあり方に大きな影響を与えています

昔々その昔

今から1400~1500万年前、ユーラシアプレートの下からマグマが貫入し、海底堆積物の下で冷えて固まってできた花崗岩が隆起し・・・海上に顔を出し・・・ついに高い山を持つ島になったのが屋久島である・・・と言われています(誰も見た人はいません)

上に乗っていたはずの海底堆積物(堆積岩)は上昇時に突き破られたのか?海面よりも上昇した後の浸食によるためか?島の山岳部は海底堆積物もしくはそれからできた岩石は無く、ほとんど花崗岩からできています

海底堆積物からできた堆積岩はかなり急な角度に傾斜し、沿岸部を取り巻くように残っています・・・ちょうど、ハイネックのセーターを着る時に頭を半分出したような状態・・・。また、この堆積岩の一部には熱による変性を受けたところもあります

このようにしてできた屋久島は、上昇し、島が高くなるにつれ雨量も増えて、山は浸食されて現在の地形のように切り立った山と深い谷が形作られたと考え られます・・・水の力ってすごい!・・・

氷河期の影響

屋久島は植物相が豊富なことも世界自然遺産に登録される要件にもなっていますが、島としては異例なほど植物種が多く存在する要因に氷河期の影響があります

地球の誕生から現在までの間には氷河期という“寒い”期間がありました・・・最後の氷河期が終わったのは約1万年前・・・氷河期の間は、海水面が現在よりも120m以上低かったと言われ、西日本は亜寒帯の気候であったとされています

120m海水面がさがるとどうなるでしょう?・・・九州と種子島、そして屋久島は陸続き・・・ 少しでも暖かい気候を求めるように生物が南下して・・・人も?(寒いのやだもんね!) ・・・

そのようにして本土から来た生物が氷河期の終わりと共に屋久島の標高の高いところに生き残った・・・ というように”島”とはいえ本土の影響も受けています・・・

喜界カルデラの大爆発

屋久島が現在のようすになるのにもう一つ重大な出来事があります。 それは、約6300年前(現在、この爆発は7300年前といわれています)に屋久島の北西部にある喜界カルデラ(現在、海底カルデラ)と呼ばれる火山の大爆発です

この大爆発では、以前は屋久島に大量の火山灰をもたらしたと言われていたものが、現在は、火砕流が海を渡り屋久島を飲み込んだ・・・と考えられています。 この火砕流を幸屋火砕流と呼び、このときの火山噴出物は鹿児島県南部の縄文文化を全滅させたと言われています。屋久島では場所によっては1mを超える赤土の層になって残っており、このことは縄文杉の樹齢などにも関わってきました

また、このときの爆発の後に形成されたカルデラの外輪山の北側の一部が海上に顔を出して残っているのが”黒島・硫黄島・竹島”です・・・屋久島から近いので良く見えます・・・最近の研究で、この海底カルデラの中に巨大な溶岩ドームが形成されていることがわかってきました・・・また、爆発したらどうしよう・・・・・

九州と陸続きだった氷河期が終わり、火砕流が島をおそったとき、動物たちはどのように逃げのびたのでしょうか? 氷河期に陸続きだったと考えられているのにもかかわらず、島にいる野生のホ乳類は6種類しかいません・・・島の深い山と複雑な地形をもってしても、生き延びるのは難しかったのでしょうか?

人はいつから?

この島にはいつから人が住んでいたのでしょうか? 縄文時代、弥生時代の遺跡が発見されています

本格的な調査が行われたのは、一湊松山遺跡と横峯遺跡の2つだけですが、古くからある集落では、ほとんどで縄文時代の土器片などが発掘されることから、島では縄文時代から広く人が暮らしていたことが分かります

また、発見された土器の特徴が九州やトカラ・奄美大島と共通することから、広く交流があったと考えられています